AIはAIの顔をしてはやってこない

以前も取り上げたが、人工知能の議論のなかで、「人工知能」や「ロボット」がやってきて人間の仕事を奪う議論がある。

しかし、AIはAIの顔をしてはやってこないのではないだろうか。

どういうことかといえば、人間から見れば、電子レンジだったり、冷蔵庫だったり、自動車だったり、玄関のドアだったり、様々な製品が、今までよりちょっとだけ賢く便利なものとして市場に登場してくると考えたほうが良いのではないかと思う。あるいは、今まで世の中になかった便利なサービスも登場するかもしれないが、表から見ればAIとは気づかないかもしれない。

今までより便利なサービスの裏側に、AI(というより機械学習的な仕掛け)あり、データ分析があるだろう。また、こうした改善された製品を実現していくのは、AIだけではなく、それ以外の様々な機能(通信、センサー、動力機構、エネルギー等)のイノベーションによる貢献も大きいだろう。

ただ、AIは、データを一箇所に集めてアルゴリズムを改善するという側面があり、そこには規模の経済が働きやすいことには注意が必要だ。

要は、AIを「独立した何か」と見るのではなく、「ユーザーに便利なサービスの裏側にあるもの」と考えて、その裏側で何が起きているのかを考える視点が必要なのではないだろうか。

「人工知能で雇用が無くなる」論文をどう読むか(続)

前回、「人工知能で雇用が無くなる」論文をどう読むか、について書いた。よく日本でも引用されるオックスフォード大学の研究(Frey and Osborne論文)は、職業の内生的な特性に立脚した分析であり、実際に職業が無くなるかどうかは外生的な要因にも左右されるのではないかと述べたところである。

そこで、人工知能で雇用が無くなるかどうか、今回は少し外生的な要因についても考えてみたい。外生的な要因にはいくつかあると思うが、ここでは政治的要因、安全面の要因、機械の普及に関する経済合理性の3つの側面から考えてみたい。

1.政治的要因

「人工知能で雇用が無くなる・減る」という問題は、古くから知られている「技術的失業(Technological Unemployment)」と呼ばれるトピックである。Frey and Osborne論文も、技術的失業の歴史について多くのページを割いて記述している(実際のところ、この論文で私が最も感心したのは、技術的失業に関する豊富な先行研究のまとめ方だった)。

この中にも紹介されている面白いエピソードがある。ウイリアム・リーという人が、1589年にストッキングを自動で織る機械を発明した。彼はこの発明によって、手作業で織っていた多くの労働者を解放できると考えた。この機械への特許を求めて、エリザベス女王I世に機械を見せたところ、女王は雇用への影響を懸念し「私の哀れな国民がどうなるのか考えよ」と述べ、特許を認めなかったという。

雇用の確保はいつの時代も政治的なプライオリティが高い領域である。失業者が増えれば社会保障コストも跳ね上がり、社会不安が増し、政権へのダメージともなる。雇用への悪影響が顕著となれば、政府は様々な方法で雇用を守るか、あるいはソフトランディングさせる方法を探すことになるだろう。とりわけ、対象の職業が労働組合や、法規制、あるいは業界団体によって強い影響力を持つ場合はなおさらである。

もっとも、全く生産的ではない職業を政治力で守り続ければ、社会全体が極めて不効率になるという場合もある。また、古典的な経済学の考え方で見れば、非生産的な職種から、生産的な職種に移行することが望ましいとされる。

しかし、一人の人間がそうそう簡単に、全く新しい職業に必要なスキルを身に付けることができるとは限らない。馬車の御者が必要ないからといって、来年からプログラマーとして働くといっても難しいのではないだろうか。

こうした場合はソフトランディングが必要になるだろう。20~30年かけて調整してくことができれば、世代が変わるタイミングで職業構成も変わっていく。こうした舵取りは政治的にも重要なテーマだと思われる。

2.安全面の要因

技術的に可能だからと言って、すぐにその技術が社会に応用されるわけではない。安全面で懸念があれば、法規制等の対象となり、認可されることはないだろう。安全面の中にも、いくつかの側面がある。

完全性
正常系だけでなく、様々な異常パターンにも対応できるか。異常発生時の処理が滞りなくできるかが一つの課題である。人間と人工知能を対比して、人間は少ない経験をもとに、新たな事象に対して対応することができる能力に優れると言われる*。対して人工知能は、ある解決策を学ぶのに大量のデータが必要である。何らかの異常が発生した場合に、臨機応変に適切な対応ができるかどうかも、社会への普及においては重要だろう。

納得性
実は上記の完全性は、人間が行う場合でも満たされているとは限らない。むしろ、人間だからミスをする、異常が発生するという場合もあり得る。しかし、その異常が機会に起因するものか、人間に起因するものか、どちらであれば人間が納得できるかというは別問題である。この辺は機械化による安全の考え方やその合理性について、社会的な合意形成を図っていく必要があるだろう。

制度との整合性
自動運転車における保険制度のあり方が議論になっているように、新しい製品やサービスの普及に伴って開発しなければならない法制度や周辺サービスが存在するだろう。制度補完性という言葉があるように、制度自体も互いに依存しあっているため、一つの制度だけを変えることが難しい場合もあるかもしれない。

3.機械の普及に関する経済合理性

人工知能や人工知能を搭載した機械が社会に普及するためには、それらに誰かが投資し、誰かが買わなければならない。技術的に可能だからと言って、それが市場でニーズがあるか、売れるかというのは全く別問題である。

例えば、自動で調理してくれる機械ができたとしよう。しかし、その機械の値段が1台1,000万円だとすれば、どれくらいの人が買うだろうか?その機械を買うよりも、弁当屋からの配達の方を選ぶ人の方が多いかもしれない。

また、もし人工知能の普及で生産年齢人口の半分が失業したとしよう。その状況で自動運転車は投資を回収するほど売れるだろうか?買える人がいなければ、機械の普及もままならないのである。経済は、仕事をしてお金を稼ぎ、そのお金で投資をしたり消費をしたりして回っている。そのサイクルやバランスの中で、人工知能なり機械がどのように普及していくのかを考える必要があるだろう。

今回は上記3つの観点を考えてみたが、技術の普及には、それ以外にも様々な外生的要因があるかもしれない。そういった外生的要因も含めて、「人工知能で雇用が無くなるか」を考えていくことで、バランスの取れた議論ができるようになるだろう。

短期か長期か?

ここまでの議論で、「これらは短期の話であって、長期的に見れば技術進化には抗えないのではないか?」と思われる人もいるかもしれない。確かにそのような面もあるが、その辺についてはまた追って書いていきたいと思う。

 

*松尾豊・塩野誠『東大准教授に教わる「人工知能って、そんなことまでできるんですか?」』にも詳しい。

「人工知能で雇用が無くなる」論文をどう読むか

少し前から、人工知能の発達で将来、人間の仕事がなくなってしまうのではないかという話が話題になっている。

これが話題になったきっかけは、二つあるだろう。一つは、MIT教授のブリニョルフソンらが執筆した『機械との競争』。コンピュータの発達により、単純作業ではない仕事すら機械に置き換わっているのではないかと警鐘を鳴らした書籍である。今は続編の『セカンド・マシン・エイジ』も発売されている。

もう一つが、「オックスフォード大学の調査」である。

この論文はいろいろなところで引き合いに出されているが、結果だけが一人歩きしている感じもあるので、ここで私なりに少し解説してみたいと思う。

まず、この論文はFrey and Osborne (2013) “The Future of Employment: How Susceptible are Jobs to Computerisation?“である。「オックスフォード大学の研究」と紹介されることが多いが、研究者としてはFrey and Osborne論文と呼んでほしいかもしれない(笑)。ただし、オックスフォード大学のマーティン・スクールという社会課題を扱う研究所のプロジェクトとして執筆されたものであるようなので、オックスフォード大学の研究といっても、あながち間違いではないだろう。

この論文はどこかの学会に投稿されたり、査読を通ったものではなく、上記の研究所のHPにアップされているもので、誰でも無料でダウンロードすることができる。言って見ればフリーペーパー論文であるが、だからといって問題というわけではない。

タイムリーで重要なインパクトを持つ論文であれば、査読に出して1年、2年かかって通った後に発表するより、すぐに誰でもダウンロードできる形で発表することは意味があるし、実際に社会的に与えたインパクトを見ると、研究論文の発表の仕方として、こういうのもありだなと思える面もある。

前置きが長くなったが、肝心の中身を少し説明したい。この研究の手順は以下の通りである。

①米国の職業別の特性を表すデータを入手する。

なぜ米国かといえば、細かい職業別(元データは903分類)に、それぞれの職業の特性を表すデータが揃っているからである。その特性は9つあり、以下の通りである。

・手先の器用さ
・体の器用さ
・環境の複雑性への対応
・オリジナリティ
・芸術性
・社会性
・交渉力
・説得力
・他者のケア

このデータと、別のデータベースから持ってきた職業別の賃金や雇用数のデータを接続したため、対象の職業数は最終的に702となった。

②上記のうち70の職種について、コンピュータで置き換えられるかどうか、主観に基づき1か0で判定する

なぜ70かといえば、これは後の分析のためのサンプルであるのと、研究員が自信を持って判定できるのがこれくらいだったということである。この時の「1」は、「ビッグデータが使えると仮定して、その職業のタスクが、最新のコンピュータで制御された機器で実行されることが可能か」にYesと考えられる場合である。実際に置き換えられると想定されるのではなく、「可能か」を問われているのに注意が必要である。

③上記の仮判定(0,1)と9つの職業の特性の関係を分析する

④上記の9つの特性と0,1の関係を使って、改めて職業別に0〜1の数値を算出する。

ここでは、probabilistic classificationという手法が用いられるが、複雑なので省略します。

これで、0.7以上の数値になった職業が、雇用数で見ると全体の47%に該当するのである。これを見ると、「約半数の雇用がコンピュータで失われる!」と読む人もいるかもしれない。

ただし、論文内にもはっきりと書かれているが、この0〜1は「職業が将来のいずれか未定のタイミングでコンピュータ化されうる」という意味であり、時期は未定である。また、最初に見たように、仮に結果が「1」だとしても、それは「確実にコンピュータ化されると思われる」という意味であり、現実にすでにコンピュータ化されているわけではない。もしそうだったら、職業分類には出てこないだろう。

従って、0.7だからといって今すぐ、あるいは近い将来に機械に置き換わると考えるのは早計だろう。著者自身も、「いくつの雇用が実際に自動化されるかを推計するつもりはない」と述べている。

この論文の特徴を改めて言えば、それぞれの職業の特性から、コンピュータとロボットに置き換えられる可能性を分析しているものだ。いわば内生的なファクターのみを考慮している。しかし、実際に雇用が失われるかどうかは外生的なファクターに大きく左右される。例えば以下のようなものである。

①政治的な要素
②安全面からの配慮
③社会的なニーズ・コンピュータ化の経済合理性

この辺については、また改めて書いていきたいと思う。