自動運転車の経済効果

自動運転車、すなわち人が関与することなく自律的に走行できる車が話題である。Googleの自動運転車が一時期話題だったが、最近ではトヨタをはじめ主だった自動車メーカーはほとんど何らかの形で取り組んでいると思われる。

この自動運転に関係して興味深い記事がNew York Timesに出ていた。カーナビの話である。(記事:Navigation Systems Still Show the Way, but Also Make the Route Safer

ここ数年、スマートフォンの普及と、安価なナビアプリに押され、カーナビは苦戦を強いられていたが、自動運転の盛り上がりで、再びカーナビにチャンスが巡ってきたというのである。自動車のレーダーやカメラで把握できる範囲は限られているが、3次元で精度の高い地図は自動運転に必須であり、こうした地図はカーナビの得意分野であるという。そして、カーナビは車にビルトインされるという特性を生かして、スマートフォンよりも車の操作により深く関与することができる。

同記事は、アウディ、BMW、ダイムラー等のコンソーシアムが28億ドルでノキアのHEREと呼ばれる地図ビジネスを買収したのもこうしたカーナビ復権の一環を示しているとする。スマートフォンの普及で窮地に立ったかと思われたカーナビが、自動運転との連携で復権する可能性が見えているのは興味深い状況である。

ところで、同記事にはもう一つ面白い論点があった。

それは、運転アシスト機能に、消費者がお金を払うかは別問題というものである。

同記事は、自動車メーカーが先進的なドライバー補助機能が標準装備になると考えているとも伝えている。確かに、最近でいえばブレーキアシスト機能や白線をまたぐ際の警告など安全支援機能が増えているが、だからと言ってそれに高いお金を払うか問えば別問題だというのである。

この調子でいけば、自動運転機能の付いた車に対して、ユーザーがどれだけ高い値段を払ってくれるかは微妙だということになるかもしれない。結局のところ、特に普及車に対して消費者が払える金額は決まっているため、自動運転技術は付加価値ではあるものの、追加の利益がもたらされるというよりも、対応していないメーカーに対する競争優位性という形で成果が出るものかもしれない。

もっとも、イノベーションに対して逆にユーザーが高いお金を払っているものの例に、電動アシスト付き自転車というものがある。これは明らかに普通の自転車より高額だが、これは電動アシスト機能自体にコスト(限界コスト)がかかっていることと、元の価格が安いために、ユーザーがプラスアルファで払ってもよいと思う余地があるためだろう

そのようなわけで、自動運転車は自動車メーカー間の相対的な競争力に変化をもたらす可能性があるものの、付加的な収入につながるかはまだ注視が必要であろう。むしろ、自動運転車が言われているような効果を実現できれば、外部効果の方が重要かもしれない。すなわち、安全性や環境への影響、輸送・物流などへの影響である。そういう意味では、自動運転車の開発で影響を受けるのは、実は自動車業界以外になるのかもしれない。

テレワーク移住と雇用契約

テレワーク、すなわち場所にとらわれずITを使って働けるようにしようという動きは以前からあって、長年取り組まれている。ちなみに、テレワークという言葉は欧米ではあまり使われておらず、通常はWFH(Work From Home)などと呼ばれているようだ。

ところで、最近はこのテレワークを地域活性化に繋げられないかという検討が様々なところで行われている。この場合の地域というのは、大都市圏の自宅という意味ではなく、文字通り田舎であり、小規模な地方都市などである。テレワークによって、大都市から地方に移住できるようにできないか、というわけである。

この場合、田舎におけるテレワークといっても大きく分けると二つのパターンがある。第一が、独立自営、フリーランスとして働く場合だ。田舎に住みながら、ネットを使って自由に世界中の注文を受けて仕事を行う。小説家や芸術家などもこうした働き方に近いだろう。こうしたフリーランスが増えてきていることは、これまでも取り上げた通りである。

もうひとつのパターンは、都市部の企業に勤めながら、テレワークを使って地方移住をするというパターンである。それほどまだ一般的ではないが、東京のIT企業が農村にサテライトオフィスを設け、期間限定ではあるが東京から社員がそこへ駐在するといったケースも出てきている。

ところで、先日このブログで、なぜ人は企業で働くのか?について取り上げた。ここで議論したのは、人が企業で働くというのは、企業側が長期的なリスクを受け入れて一定の給与を支払う代わりに、従業員にルールに違反しない限りにおいて指示することができるものだということである。

ここで、テレワークによる移住である。移住というからには、期間限定ではなく当面の間その地域に住むということが前提とされる。そして、移住をやめてどこか別の地域に住むか、そこへずっと住み続けるかの決定権は、当該住人である労働者に委ねられていると考えるのが妥当だろう。もし会社の一存で、来年から東京に転勤せよというのであれば、単なる「転勤」であり、移住とまでは言えない。特に、「移住」というコンセプトが「その地域に長く根ざして住み、地域社会と深く関わり、長期的にその地域の発展に貢献していくこと」を目指しているのであればなおさらである。

従って、「企業テレワーク移住」というのは、「居住地のコントロール権を労働者に渡すこと」と言い換えることができる。3年後に会社の気が変わったから、市場が変わったからといって社員を東京に呼び戻すことはできないのである。しかし、3年後には時勢が変わって、その地域で社員を抱える意味がなくなるかもしれない。しかし本人はその地域に住み続けるつもりである。その場合、企業はその社員に安定した給与を払い続ける合理性があるだろうか?

ここに、伝統的企業のありかたとテレワーク移住の間に葛藤が生じる。

従業員の居住地決定権を優先するならば、企業が将来の不確実性に備えるためには、リスク負担を低減したいと考えるのが自然ではないか。例えば、限定正社員という形で3年契約の更新性とするなどがある。それに対して、従業員の側も長期的な収入保障が期待できないため、ある程度リスクヘッジを行う必要がある。

これを解決する案の一つは、雇用契約におけるフレキシビリティを上げることかもしれない。労働者側は居住地を決定する権利を持つ。それに対して、企業側は終身雇用について一定のフレキシビリティを持たせる。そうなった場合、労働者は突然解雇されると生活に困るので、兼業などである程度リスクヘッジをする必要がある。これによって、「企業のリスク負担」と「労働者の居住地の決定権」のバランスをとることができるかもしれない。そう考えると、テレワーク移住のためには「時間管理・終身雇用・兼業禁止」という雇用システムを、もう少しフレキシブルなものに変えるということも同時に考える必要があるだろう。

 

雇用契約の古典的理解:シェアリング、クラウドソーシング、テレワークを考える出発点として

最近、シェアリング、クラウドソーシング、テレワークなどについて検討する機会があった。これらに共通するのは、伝統的な組織階層における指揮命令系統に対して、個人が一定の権限を持つ分権・分散的特性を備えていることである(テレワークはケースバイケースであるが)。

そこで、ここでは伝統的な組織の特徴とは何か?を整理しておきたい。それによって、新しいサービスの提供形態が、どの程度従来の組織と異なり、革新的なのかを測る出発点になると思われるからだ。

企業と社員の関係は?

伝統的な企業組織の要は、雇用契約である。この雇用契約とはある意味で不思議なものでもある。どのような業務を行うか、長期的な報酬はいくらなのか、いつまで雇われるのかといった重要な事項が曖昧あるいは不明なままに雇用契約に入ることもある(これは程度の問題で、場合によっては明確にすることもないわけではない)。こうした契約を、企業と従業員の関係だけを定めて業務内容に踏み込まないため関係的契約と呼んだり、あるいは情報が揃っていないため不完備契約とも言う。(ミルグロム&ロバーツ『組織の経済学』参照)

雇用契約の特徴に関する古典的な解釈は、Frank Knightによる「リスクと権限の雇用主への移転は企業の特徴である」だという(前掲書)。すなわち、企業家は様々な事業環境の変化などのリスクを受け入れた上で、従業員に対して一定の賃金を払うことを約束する。しかし、一定の賃金を支払う約束をしてしまうと、従業員が極端に言えば全くサボってしまう場合もある。そのようなモラル・ハザードに対する防衛のために、重要事項について決定権を持つと同時に、従業員に対して指示をする権利を持つというものである。

極端に言えば、「契約条項や法律によってはっきりと禁じられていないことならば、上司は従業員に原則的には何でも命じることができる。従業員の方は(中略)、唯一の実質的な武器となるのは辞表を出すことである」(ミルグロム&ロバーツ、前掲)という関係とも言われている。従業員側から見れば色々と指示されるのは不本意かもしれないが、収入の安定という対価を得ているのである。要するに、「企業側が収入保障というリスクを負っているのだから、指示する権限がある」というわけである

なぜ従業員間でも上下関係があるか?

ところで、企業では会社が従業員に指示するだけではない。多くの階層のなかで、上司が部下に指示をするということがある。別に「会社-従業員」関係でなくても、従業員間に指揮命令系統がみられるのは、情報処理の効率性によるものだとする見方が一般的である。

例えば、突発的な事態に対して対応する場合、完全にフラットな立場で議論して決定するより一方に決定権限を寄せた方が効率的であり、またあらかじめ誰が権限を持っているかを明らかにしておいた方がさらに効率的というわけである。

ウイリアムソンの『市場と企業組織』はさらに、情報収集能力と意思決定能力は個人によって違いがあるので、特に得意な者に任せることで効率性が上がる可能性があるとする。ここでは雇用関係に着目していないので、得意な者が意思決定権を持てばよいということになる。

脱・企業組織はどのような場合に優位性があるか?

これらの議論を踏まえると、シェアリング、クラウドソーシング、テレワークなどが、伝統的な組織形態に対して優位性を持つとするなら、以下のような点を検討する必要があるだろう。

  • 関係者間で適切なインセンティブが設定され、モラル・ハザードに陥る可能性が低い
  • 不確実性を減らすための業務の明文化、形式化がなされている
  • 集合的な意思決定に上下関係があまり必要ではない、あるいは集合的な意思決定自体があまり必要ではない

シェアリング、クラウドサービス、テレワークなど新しい働き方は、伝統的組織、あるいは雇用契約に基づく働き方に代わる組織形態を示唆している。労働者と企業の間で誰がどのようにリスクを負担しているのか、意思決定の効率性はどのように確保されるのか。こうした観点は、新しい働き方の有効性と継続性を考えるうえで重要かもしれない。

 

ムーアの法則は継続するか

ムーアの法則をご存知だろうか?

インテルの創業者の一人であるゴードン・ムーア氏が提唱したもので、コンピュータチップ中に組み込まれる集積回路の数が、1年ごとに倍になるというものである。毎年倍になるということは、当初比で1年後に2倍、2年後には4倍、3年後に8倍というように加速度的に増えるというものだ。これは物理法則ではなく、そうなるだろうという経験則や予測のようなものだ。

少し前の記事だが、このムーアの法則が終わりを迎えつつあることをNew York Times誌が伝えている(2015年9月26-27日付、International New York Times)。

同記事によると、ムーアの法則はそれが提唱された1965年以来、半世紀にわたってムーアの法則は成り立ってきたが、ここ数年間減速してきているという。チップのスピードアップは10年近く停止しており、新製品の導入も延期されている。集積回路のコストも下げ止まっているという。専門家は、新しいチップの導入は2年半から3年おきになると見ているそうだ。

ムーアの法則の減速の要因の一つとして、同記事は製造工程の限界を示唆している。チップの製造には紫外線レーザーを使ってチップにパターンを刻む必要があるが、これ以上小さく作ることが難しいようだ。もちろん、この限界を解決する技術としてExtreme Ultraviolet(極端紫外線, EUV)という技術を使ったチップ製造方法も検討されているようだが、まだ実用化には至っていないそうである。

ムーアの法則が限界を迎えた後、何が起こるだろうか?

同記事は、二つの可能性を示す。一つは、ムーアの法則が継続するようなイノベーションがチップ製造にもたらされることだ。ただ、上記のEUVも含めて様々な試みがあるが、未だ実用には距離がありそうだ。

もう一つは、集積度、すなわちチップのスピード以外の点でイノベーションが進むことだ。例えば、極めて小さい消費電力のチップの可能性があるという。太陽光、振動、ラジオ波、汗などで駆動するチップだ。こういうものが実現すれば、センサーなどに応用できるという。

いずれにしても、同記事はムーアの法則が安泰とは限らないことを示している。近年の人工知能の議論などは、現在の技術ではまだまだ実現には足りないものの、このままのペースで技術が進化すれば人と同じような知能が可能になるかもしれない、という議論に基づいている部分も大きいので注意が必要だ。一方で、技術進化は何もチップの速度だけでもたらさせれているわけではない。近年社会的に影響を与えているサービスの多くは、技術的な先進性というよりもビジネスモデルの秀逸性・新規性によるところが大きい。チップの速度アップが減速したからといって、技術進化が止まるというわけではない。

また、同記事は、あと十数年はムーアの法則が継続する可能性もあるとしているため、10年程度の短中期の話であれば、これまでのペースを前提として考えるることも可能だろう。しかし、長期の技術進化を語る際には、ムーアの法則の終焉についても、頭の片隅に置いておく必要があるのかもしれない。